日本語の語源を知る 〜目からうろこの語源書〜

プロフィール: 江 副 水 城(えぞえ みずき)、 出身地:熊本県 、学歴: 東京大学 法学部卒 、 趣味:麻雀、言語研究 、著書:『魚名源』 『鳥名源』 『獣名源』 『蟲名源』 『草木名の語源』

【よさこい】の語源

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 よさこい節の原歌は、土佐地方で古くから親しまれていた歌のようで、それを、土佐在住の作詞作曲家であった武政英策氏が「南国土佐を後にして」という曲名で再編作詞し、ベギー葉山という美人女性歌手の歌唱で大ヒットして、日本全国に広く知られるようになった歌です。

 その歌詞は、たくさんあり、歌集によって若干の違いがありますが、どの歌集にも共通する歌詞の一部を披露しますと、次のようなものがあります。

 

一、土佐の高知の 播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい

二、みま瀬 見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい

三、言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる よさこい よさこい

四、土佐の名物 珊瑚に鯨 紙に生糸に かつお節 よさこい よさこい

 

 しかしながら、曲名とも囃子詞ともなっている「よさこい」とはどういう意味なのか現在でも分かっていないようなのです。有名な流行歌なので、当然に、作詞家にも質問がでたと思いますが、この歌は古歌を再編したもので、「よさこい」という囃子詞は、すでに古くからあったものであり、この作詞作曲家自身が作ったものではないので、何の意味だかはっきりとは分からなかったのかも知れません。したがって、いまなお、分からないままとされています。

 有力説とされるものの一つに大辞典に書いてあるものがあります。例えば、広辞苑には「夜さり来いの意」と書いてあります。古語に「夜さり」という言葉があり、「夜に、夜分に」という副詞として使われていた言葉です。この説は、古語である「夜さり」と現代語である「来い」を合わせた「夜さり来い」から「り」を省略した「夜さ来い」であり、「夜にいらっしゃい」という意味だとするものです。しかしながら、古語と現代語をくっ付けるのは可笑しい上に、「り」を省略するのもまた可笑しいのです。

 更に、古語には「夕さり来る」という表現はあっても「夜さり来る」という表現はありません。したがって、広辞苑に書いてあるような、「よさこい」が「夜さり来い」からきたものとは到底思われません。

 それよりも、人形浄瑠璃などの言葉に「夜さ来い」とあり、「夜さ」とは「夜に、夜分に」という意味で、「夜さ来い」とは「夜に来い」の意味とされているようで、もし仮に、「よさこい」が「夜にいらっしゃい」とする意味ならば、こちらの方が、はるかに無理のない適切な説明のできる言葉といえます。

 ところが、地元の土佐人の話では、土佐ではこのようないい方はしないというのです。地元では、夜のことは晩(ばん)といい、「夜にいらっしゃい」というのは、「晩に来や」というのだそうです。大体、四国、九州地区の日常語では夜という言葉自体がさほど使われていなかったのです。

 また、有力説の一つに、江戸時代の初期に山内一豊高知城を築いたときの、「よいしょこい」や「よっしゃこい」という掛け声の訛ったものとする説があります。この説の最大の欠点は、あまり聞いたことのない掛け声であることに加えて、ほんとうに使われたという痕跡がどこにもないらしいということです。

 一般的なことをいいますと、囃子詞や掛け声にも意味はあるのです。したがって、「よさこい」の意味は、歌詞は何節何行もあるのですから、この歌の全節全行に通用するものでなければならないのであり、「夜にいらっしゃい」では、その役目を果たしていないのです。

 また、「夜にいらっしゃい」説で、納得のいかない最大の理由は、そのような意味では、いかにも矮小過ぎて、南国土佐らしい大らかさや雄大さに欠け、この歌全体に流れる雰囲気や各節の歌詞と殆んど調和しないことです。

 

 そこで、次のような、著者の新説であり、真説であると思われるものを、ここで、ご紹介します。

 一音節読みで、はヨウと読み、優秀の熟語で使われるように「優れている」という意味であり、その多少の訛り読みが「よさこい」の「よ」です。はツァンと読み、賞賛という熟語で使われているように「ほめたたえる」の意味ですが、その多少の訛り読みが「よさこい」の「さ」です。この二語を合わせた「優賛(ヨサ)」は、「人柄のよさ」、「家柄のよさ」、「彼女のよさ」などと使われています。

はコと読み「よい、素敵である」の意味、英語でいうところのgood、fine、splendidなどの意味です。はイと読み、「よい、宜い」という意味です。

 以上のことから、「よさこい」とは、優賛哿宜の多少の訛り読みであり、これらの字における同じような意味をまとめて簡潔にいうと「素晴しい、素敵である」の意味になり、これがこの言葉の語源です。

 現在では、この歌にはいろいろな歌詞が付け加えられていますが、土佐出身の兵隊さんたちに愛唱されていたといわれる元歌(もとうた)の根底に流れているのは、土佐人の郷土に対する愛情、誇り、自慢、懐かしさなどではないでしょうか。 

 したがって、「よさこい」の意味も、それらを表現しているものでなければならないのです。つまり、「よさこいよさこい」とは、「素晴しいなあ、素敵だなあ」という意味の、自画自賛ともいえる囃子詞なのです。

【あんぽんたん】の語源

アホ、バカ、マヌケなどと同じような意味の言葉に、アンポンタンやアホンダラという言葉があります。

 

 漢語には、これらと同じような意味の言葉があり、それは、一音節読みしたときの渾蛋(ホンタン )や笨蛋(ペンタン)です。渾蛋は、読みが同じ読みの混蛋(ホンタン )とも書かれます。

 渾は「ぼんやりの」、笨は「のろまな、愚かな」という意味です。蛋は、蛋白質の蛋で、人間を含めて動物の身体の一部または全部をいうときに使います。人間について使うときは、通常は、誹謗、中傷語とし使用されます。

 

 アンポンタンのアンは、意味のない接頭語ではありません。一音節読みで、暗はアンと読み「物事に暗い、愚鈍である」の意味があるので、格好の組合せ字として使われているのです。

 

 つまり、アンポンタンは、日本語では、先頭に暗を合わせた暗渾蛋(アンホンタン)または暗笨蛋(アンペンタン)を、多少訛り読みして、アンポンタンという言葉にしたものであり、いわゆる「アホ、バカ、マヌケ」の意味であり、これがこの言葉の語源です。

 

 一音節読みでレンと読む「人」を追加した暗混蛋人は、アンポンタンレンの読みになるのですが、多少の訛り読みしたのがアンポンタレであり、アンポンタンと同じ意味になります。

 

 更に、一音節読みでラと読む語気助詞の「了」を追加した暗渾蛋了または暗笨蛋了を多少の濁音訛り読みしたものがアホンダラでありアンポンタンと同じ意味になっています。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。

【あだな】の語源

 一世を風靡した有名な流行歌に「お富さん」というのがあり、その歌詞は「アダナ姿の洗い髪、死んだはずだよお富さん、生きていたとは お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん えっさほー えーんやらや」になっています。この「アダナ姿」とは、どんな姿でしょうか。

 

 漢語に婀娜という熟語があります。本来の一音節読みで、婀はオ、娜はナと読み、どちらも、女性の姿態が「美しい」の意味があるので、当然に、婀娜も同じ意味です。女性のことをオナゴとも言いますが婀娜子が語源です。

 

 婀には阿、娜には那、が含まれているので、日本語では、婀はア、娜はナ、とも読んでいます。

 アダナの「ダ」とは、一音節読みで美しいの意味の讜を婀娜の真ん中に加えたものです。したがって、「アダナ姿」とは、「美しい」の意味の語を三つ揃えた婀讜娜姿のことであり、「美しい姿」のことになり、これがこの言葉の語源です。

 

 アデ姿は、アダナ姿からナを省略して少し訛り読みしたもので、漢字で書くと「婀讜姿」になり「美しい姿」の意味です。

 

 アダッポイは、婀讜(アダ)に、一音節読みでツと読み、形容詞では「美しい」の意味の姿と、ポと読む強調語の「頗(すこぶ)る、とても」の意味の頗と、イと読む語気助詞の矣を加えて、婀讜姿頗矣を促音便もどきの読みにしたものです。直訳すると「美しいのが、とてもである」、つまり、「とても美しい」の意味になっています。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。