日本語の語源を知る 〜目からうろこの語源書〜

プロフィール: 江 副 水 城(えぞえ みずき)、 出身地:熊本県 、学歴: 東京大学 法学部卒 、 趣味:麻雀、言語研究 、著書:『魚名源』 『鳥名源』 『獣名源』 『蟲名源』 『草木名の語源』

【かぐや】姫の語源

 竹取物語という説話の主人公は、眩(まばゆ)いばかりの美しいお姫さまです。竹取物語は、平安時代に書かれ、現存する説話の中で最古のものと位置付けられています。

 この説話は、今昔物語にも「竹取翁が竹林で女児を見付けて養育した話」として語られています。その筋書きは、人口に膾炙(かいしゃ)したものなので、その内容については、ここでは省略します。

 かぐや姫は、漢字で赫映姫と書いてあります。しかしながら、赫映は「カグヤ」とは読めませんので、「当て読み」ということになります。当て読みとは、著者の造語であり、従来の訓読ということです。

は「光り輝く」、は「美しく映える」の意味ですから、字義の直訳では「光り輝き、美しく映える姫」の意味になっています。

 さて、カグヤとは、いったいどういう意味でしょうか。

一音節読みで、はカンと読み、この字の冠(かんむり)が竹となっていることから分かるように「竹筒」の意味があります。

はグと読み「父母のいない孤児」の意味、はヤンと読み「実親でない他人に養育される」の意味がありますです。

 したがって、カグヤ姫とは、管孤養姫の多少の訛り読みであり、直訳すると「竹筒の、孤児の、養育された姫」ですが、少し補足して意訳すると「竹筒の中にいた、孤児で、他人に養育された姫」の意味となり、これがこの姫の名前の語源です。

 

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浦島【うらしま】太郎の語源

 漢字では、浦島太郎と書かれます。海辺の砂浜で子供たちに苛められていた亀を助けたら、そのお礼に竜宮城に案内され、乙姫様のたいへんなおもてなしを受け、夫婦になって日々を楽しく過ごしますが、三年経った頃に故郷が恋しくなり、いとまを申し出て、開けないようにとの忠告を受けた玉手箱を貰って帰ります。三年と思ったのに地上では三〇〇年の年月が経過していて、土地の様相もすっかり変ってしまい、知った人は誰もおらず、途方にくれた浦島太郎は忠告も忘れて、玉手箱を開けてしまいます。そこから白い煙が立ち登り、一瞬のうちによぼよぼの老人に変わってしまったというお噺です。

 この話は、内容はお互いにやや異なりますが、古くは丹後国風土記逸文)、万葉集第九巻の万葉歌(一七四〇・一七四一)、日本書紀雄略天皇二十二年正月の条にでています。丹後国風土では浦嶼子、万葉集では浦嶋児(子)、日本書紀では浦嶋子と書いてあります。その後の室町時代御伽草子で名称等も現在の噺に近いものになっています。

 この、ウラシマという名前が意味も無く付けられたとは思えないので、その語源の詮索をしてみます。

一音節読みで、はウと読み動詞では「~しない」、はランと読み「見る」、はシと読み「昔」、はマンと読み「美しい」の意味があります。子や太郎は「男」の意味です。

つまり、ウラシマは無覧昔曼であり、後ろから直訳すると「美しい昔を見れない(男)」少し意訳すると「美しい昔の故郷を見られなかった(男)」の意味になり、これがこの男性の名称語源と思われます。

 

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【ねぶた・ねぷた】祭の語源

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 青森ねぶたは、勇壮で美しい巨大な人形灯篭を中心に踊り手たちが一塊(ひとかたまり)となった数十組の集団が街中を練り歩く、全国的に有名な夏の行事で、八月の上旬に行われます。このような有名な行事ですから、まずは、「ねぶた」とはどういう意味なのかという質問が当然にでてきます。

一音節読みで、念はニィエンと読み、その多少の訛り読みが、ねぶたの「ね」です。とは「声を出していう」ことで、例えば、声を出して経を読むことを念仏といい、声をだして本を読むことを念書といいます。この行事に参加した踊り手を「はねと」といいますが、はねと達が、舞い踊りながらラッセラー、ラッセラーと威勢のよい掛け声を唱えながら「囃(はや)す」ことが、とりもなおさず「念」なのです。はウと読み、その日本語読みの「ブ」がねぶたの「ぶ」であり「舞い踊る」の意味です。この行事では、華やかな衣装や花笠で着飾った、たくさんのはねと達が「舞い踊る」ことによって、雰囲気を一段と盛り上げるのです。

はタンと読み、その多少の訛り読みが、ねぶたの「た」であり、「担(かつ)ぐ」の意味です。この行事に登場する勇壮で美しい灯篭人形をみんなで「担ぐ」ことなのです。現在では、これらの灯篭人形が大形化していることもあって、台車に載せて引かれるのが普通ですが、記録によれば、昔はみんなで担いでおり、小さな路地にも入り込んで練り歩くことができたとされています。

 つまり、「ねぶた」とは、この夏の行事の基本的な三つの要素である「念、舞、担」をつなぎ合わせたものの読みからできた言葉になっています。直訳すると「囃し、踊り、担ぐ(祭)」という意味で、これがこの言葉の語源です。

 以上から、分かるように「ねぶた」とは灯篭人形そのもののことではありません。したがって、ねぶた祭の出し物である灯篭人形は、むしろ「ねぶた灯篭」または「ねぶた人形」といった方がよいと思われます。そして、これらの「ねぶた灯篭」または「ねぶた人形」を舞い踊りながら練り歩くことが「ねぶた流し」なのであり、最後にはこの灯篭や人形を川や海に流すのは「ねぶた灯篭流し」または「ねぶた人形流し」なのです。

 さて、ラッセラーとは一体なんのことでしょうか。この意味を知っている人はいないようですが、殆んどの人形が勇壮な武将の戦闘絵になっていることから判断できます。一音節読みで、はランと読み、指示または命令の意味を表わします。はツと読み「刺す、刺殺す」の意味、はセと読み「射る、射殺す」の意味、了はラと読む語尾に付く語気助詞になります。つまり、ラッセラーは、「譲刺射了」の多少の訛り読みであり、直訳すると「刺殺せ射殺せ」という物騒な指示命令の意味になっており、これがこの囃子言葉の語源です。簡単にいうと「やっつけろ」という意味になります。このことは、そもそもの漢字では、「ねぶた」は「侫武多」と書かれてきたようであり、「武」の字が使われていることからも推測されます。 

 この祭りは、弘前でも行われますが、こちらでは、「ねぶた」ではなくて「ねぷた」といい、弘前を付けて「弘前ねぷた」といいます。「青森ねぶた」との顕著な違いは、「弘前ねぷた」では灯篭人形が扇形になっていること、掛け声が違うこと、踊りは付かなくて灯篭人形をにぎやかに引廻して歩くことにあります。

 「ねぶた」と「ねぷた」で、「ぶ」と「ぷ」の違いは、行動の顕著な違いの一つである「舞」と「歩」との発音の違いです。つまり、「舞(おど)り」がつかず、「歩いて」引廻すだけの場合は「ねぷた」なのです。歩は、一音節読みでは、「ぶ」とも「ぷ」とも読めるのですが、正しい音読は清音読みの「ぷ」です。したがって、ねぷたとは、念歩担であり、直訳すると「囃し、歩き、担ぐ(祭)」の意味であり、これが「ねぷた」の語源です。

 以上から、その言葉の意味を漢字で表すとすれば、青森は「念舞担(ねぶた)」、弘前は「念歩担(ねぷた)」になります。

そもそも、「ねぶた流し」や「ねぷた流し」における「流し」のほんとうの意味は、街中を「練り歩く」ことではないかと思われるのです。現在では「タクシーを流す」のように使います。人形灯篭は、最終的には川や海に流すので、事実問題として、当然に、その「流す」の意味もあることは考えられます。つまり、「流し」とは、「練り歩く」ことが本来の意味であり、「川や海に流す」ことは付加された意味であって、強いていえば掛詞になっていると思われます。

 現在、通説とされている「ねぶた」や「ねぷた」の語源説があり、テレビ(television)のクイズ(quiz)などにも出題されて宣伝されています。しかしながら、「眠た」であるというような語源説を、いつ誰がいいだしたのか分かりませんが、はっきりいってこの通説はどうかと思われます。福岡博多のドンタク祭りの「ドンタク」や高知のヨサコイ節の「ヨサコイ」の語源説なども、その部類に入ります。