【あみだくじ】の語源
アミダクジとは、その先の結果が隠された人数分の線を引いて、各人がなんらかの順序で一本の線を選んで、その引当てた結果を得る、または、その結果に責任をもつというクジ引です。
現在では、線と線との間に各人に適宜に横線を引いてもらい、縦横の線が交差したところで屈折しながら進むという一層遊び心を加えた工夫をしています。
一音節読みで、暗はアンと読み「暗い、先が見えない」の意味です。迷はミと読み、その本義は名詞では「迷路」、動詞では「路に迷う」のこととされています。的はダと読み、名詞および形容詞や副詞などの修飾語をつくるのに使われます。つまり、アミダとは、暗迷的の多少の訛り読みであり、直訳すると「暗い迷路の」の意味になっています。
クジは漢字で、籤と書きます。一音節読みではチィエンと読み、訓読ではクジと読みます。日本語では、なぜ籤の字をクジと読むのかということです。
クジのクは穀で「よい、吉」の意味、ジは吉で「吉、よい」の意味なので、クジとは穀吉であり「吉」の意味です。つまり、クジ引とは、穀吉引であり「吉を引当てる」の意味になっています。
神社仏閣の「おみくじ」には、大吉、中吉、小吉があり、「おみくじ」を引く主目的は「吉」を引くことであることからも、クジが穀吉であることを推察できると思います。
以上のことから、アミダクジを引くとは、暗迷的穀吉を引くであり、直訳すると「暗い迷路の吉を引当てる」、少し意訳すると「暗い迷路の先の吉を引当てる」の意味になっていて、これがこの言葉の語源です。
ただし、広辞苑(第六版)には、次のように書いてあります。
「【阿弥陀籤】(籤の線の引き方が、もと阿弥陀の光背に似て放射線状であったのによる)」。
しかしながら、これは、単なる当て字に過ぎない阿弥陀を、作り話に仕上げたものと思われます。なぜならば、「放射線状であった」ということになると、たぶん、半円状になるので、結果を書いておくべき中心部が極めて窮屈であり、それにも増して結果の記載部分をどのようにして隠していたのかという困難な問題もでてきます。つまり、放射線状というのは、極めて不便で実際的ではないのであり、ほんとうにそうだったのかどうか疑問が残る説といえます。
※訓読とは、意味を含んだ日本語読み、ということです。
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