日本語の語源を知る 〜目からうろこの語源書〜

プロフィール: 江 副 水 城(えぞえ みずき)、 出身地:熊本県 、学歴: 東京大学 法学部卒 、 趣味:麻雀、言語研究 、著書:『魚名源』 『鳥名源』 『獣名源』 『蟲名源』 『草木名の語源』

神輿を担ぐときの掛声である【わっしょい】の語源

お祭りで神輿(みこし)を担ぐときの掛声は、大昔から「ワッショイ、ワッショイ」といってきました。神輿はけっこう重いので担ぐのに気合を入れるためもありますが、祭を盛り上げるための掛け声でもあります。
ところが、なぜワッショイというのか、大昔からその理由が尋ねられてきたので、学者や多くの文人が、ああだこうだといってきたのですが、いっこうに要領を得た説明はされてこなかったのです。

そこで、困ったときの行き着く先として、「朝鮮語からきた言葉だ」という学者もでてくる始末なのです。日本語の学者世界では、日本語で説明のできないものは、先ずはアイヌ語、次に朝鮮語やインド語由来にされてしまう傾向があります。はては、なんの意味もない単なる囃子言葉、或いは、意味が分からなくてよい幼児語、一般人には窺がい知れない女房言葉、遊郭言葉、ヤクザ言葉にされたりするのです。しかしながら、いずれの言葉にもちゃんとした意味があるのです。

さて、この言葉の語源をいいますと、一音節読みで、旺はワン、盛はションと読み、共に「旺盛(おうせい)に、盛んに」、溢はイと読み「旺溢(おういつ)した、あふれるほど盛んに」などの意味があります。つまり、この三字はいずれも「盛んに」の意味があります。したがって、ワッショイとは、旺盛溢(ワン・ション・イ)の多少の訛り読みであり、直訳すると「盛んに」の意味になり、これがこの言葉の語源です。
旺盛溢の意味を汲んで少し表現を変えていうと「元気一杯に」などのような意味になり、実際の囃子言葉として通じる意味のものに訳するとすれば、例えば、「やるぞ、やるぞ」、「いくぞ、いくぞ」や「それいけ、それいけ」のようなものになるでしょうか。

【にっぽん】の語源 〜「日本」をニッポンと読む理由〜

我が国の国名は古くは漢字で「倭」と書かれ「和」とも書かれたりしましたが、倭や和はワと読んだとされています。倭は芝那(支那)の魏人が当時の日本を指した他称、和は日本人が自国を指した自称であり倭や和をワと読むのも自称です。

その後、大和、日本などとも書かれるようになり、倭、大和、日本はヤマトとも読まれてきました。「日本」という漢字名称は、古事記には全く見られず、日本書紀においては多見されます。その孝徳紀に

「明神御宇日本天皇(かみにして あめのしたしろしめす やまとのすめらのみこと)」と初見され、岩波文庫日本書紀では、その書中に出てくる「日本」をすべて「やまと」と読んであります。

言海には
①承久三年、安倍氏起請文『にほんコクノカミホトケ、云々』。
②同、暦応三年某月起請文『にほんコクウチノ大小のジンギ』。
③文禄元年五月十八日、山中長俊(秀吉公右筆)ノ消息『にっぽんのテイハウ(帝王)サマ。』
と書かれていることが紹介されています。

西暦で言いますと
①の承久三年は1223年
②の暦応三年は1227年
③の文禄元年は1592年
に相当します。

このことからすると「にほん」の読みは
「やまと」、「にほん」、「にっぽん」と変遷していることになります。何故変遷したのかということですが、それは、その読み方に内包する意味に原因があるのです。

漢語の一音節読みで、倭はウォ、和はホと読みますが、日本語では共にワと読まれてきたことは上述したとおりです。一音節読みで婉はワンと読み「美しい」の意味です。つまり、倭や和をワと読んだのは、婉の多少の訛り読みを転用したものであり、したがって、ワとは「美しい(国)」の意味だったのです。

我が国の名称は倭から和を経過して大和になり、その読みはヤマトといいました。
これは、国の名称を一音節読みから三音節読みに変更したということです。雅はヤ、曼はマン、都はトと読み形容詞で使うときは、いずれも「美しい」の意味です。つまりヤマトとは雅曼都のことであり「美しい(国)」の意味になっています。

「日本」という漢字名称は、上述したように古くからあったのですが、当初はヤマトと読まれていました。上述の承久三年(1223年)は鎌倉時代初期のことですから、この頃には日本を「ニホン」と読むようになっていたようです。一音節読みで寧はニンと読み「平和な」、弘はホンと読み「偉大な」の意味です。つまり、ニホンとは、寧弘の多少の訛り読みであり「平和で偉大な(国)」の意味になっています。

しかしながら、よく考えてみると、この名称では当初の呼称であった、ワやヤマトにおける「美しい」の意味がすっぽり抜け落ちています。そこでそれを補うために、安土・桃山時代頃になってからニッポンの呼称が考案されたのです。一音節読みで、姿はツと読み、形容詞で使うときは「美しい」の意味があり、この字をニホンという名称の途中に差し込みました。鵬はポンと読み弘と同じく「偉大な」の意味があります。つまりニッポンとは、寧姿鵬の多少の訛り読みであり、直訳すると「平和で、美しい、偉大な(国)」の意味になっており、これがニッポンという言葉の語源です。 ここで重要なことは、「にほん」は「にっぽん」の促音読みに見えても、そうではないということです。 以上から、「にっぽん」の呼称こそが、国内での正式名称であり、対外的にも我が国の正式呼称として使用されるべきものと言えます。

 したがって、日本国民は、国名の正式呼称は「ニッポン・Nippon」であると認識し、国際社会に向かってもそのように対処しなければならないことはいうまでもありません。
その場合に、日本国内における通常呼称は、二ホンとニッポンのどちらにすればよいのかという問題がありますが、これは簡単なことです。ヤマト、ニホン、ニッポンの呼称は、歴史上、実在した呼び方ですから、無かったことにしたり取消したりはできないのであり、よいとか悪いとか、使ってよいとか悪いとかの問題ではないのです。社名にせよ、名にせよ、人それぞれに、好きなように使い、好きなように読めばよいということです。

 我が国の呼称について、麻生太郎内閣の平成21年(西暦2009年)の閣議決定では、
「いずれも広く通用しており、どちらかに統一する必要はない」とされました。ここから窺える事は、学者によって、「なぜニッポンと呼ぶべきか」という説明がされていないらしいという事です。我が国の呼称について、今もってニホンとニッポンのどちらかに統一できないという事は、国語・言語学者の学問的な力量不足や秘密主義がその一因であることは疑いありませんが、明治時代以降も延々と続いている、日本語から漢字を混えた日本語をできるだけ早く無くし、英語化していこうとする意図があるとも憶測されます。

 日本語が徐々に崩壊して英語化していくとすれば、その是非はともかくとして、その責任の一端は、20世紀から21世紀にかけての言語・国語学者の、漢語と漢字とを同一視して「漢字は借用語」と称するような誤った言語意識とその意識に基づく研究態度や文部科学省の姿勢にあるのですが、ここから先は大変長くなるので、また別の機会に。

かごめ唄【かごめかごめ】の語源

 漢字では、籠目籠目と書かれ、その歌詞は次のようになっています。

 

籠目籠目

籠の中の鳥は

いついつ出やる

夜明けの晩に鶴と亀が滑った

後ろの正面だあれ

 

 この歌は、特に、女性が子どもの頃に、友だちと遊んだときの懐かしい思い出のこもった遊戯歌(あそびうた)に違いありません。しかしながら、この歌の意味となると、ちょっと読んだだけでは、なんのことだか一向に分からないと思います。それは漢字の当て字が多用されているからです。

 先ず、大辞典では、「籠目」は「かごめ」と読み「籠の編み目」のことであるという説明になっていて、それはそれでよいのかも知れませんが、この歌での「かごめ」は「籠目」、つまり、「籠の編み目」のことではないのです。「かごめかごめ」を「籠目籠目」と書いてあるのは、単なる当て字に過ぎないのであって、「かごめ」は「籠目」であると信じてしまうと、歌全体の意味が誤魔化されて分からなくなってしまうのです。

 

 それでは、この歌での「かごめ」とは、いったい何のことだということになりますが、ここでの「かごめ」とは「籠門」のことであり「籠(かご)の扉」のことをいいます。「門」の字は一音節読みでメンと読み、いわゆる門(もん)のことであり、別の言葉でいうと扉(とびら)のことです。門の字は、一音節読みではメンと読む程度のことは、麻雀をたしなむ人なら直ぐにお分かりのことと思います。

 

 また、この歌での鶴と亀というのも当て字なのです。鶴というのは「つるつる頭」とか「つるつる滑る」というときの「つる」なのです。したがって、ここでは「滑った」につながり「つるっと滑った」ということです。亀が「滑った」ことになっていますが、この動物が滑っても面白くも可笑しくもなく、この歌の意味は通じません。ここでの「かめ」とは「檻門」のこと、つまり、「檻(おり)の扉」のことであり、上述の籠門を別の言葉で言い換えたものに過ぎません。一音節読みで檻はカンと読み、門はメンと読むので、檻門はカンメンと読むことになるのです。

 したがって、「鶴と亀が滑った」は「つるっと檻門が滑った」、つまり、「つるっと籠門が滑った」ということであり、少し意訳すると「つるっと籠の扉が滑って開いた」という意味なのです。

 「夜明けの晩に」における「晩」とは「暗い」の意味であり、「夜明けの晩に」とは、「夜明けで未だ暗いときに」という状況を表しているのです。暗い中では、人間も目は見えないのですが、特に、鳥は鳥目と言われるように暗いと目が見えないとされています。この歌の中では、夜明けであっても未だ暗くないと困るのです。というのも、未だ暗くないと、特に教えて貰わなくても、籠の中の鳥には籠の扉がどこにあり、開いているか閉まっているかさえも分かってしまうからです。この歌の歌意は、後ろの正面にいるのが誰かを当てたら、開いている籠の扉がどこにあるかを教えてあげるということですから、夜明けではあるが未明であり暗くなければならないのです。

 

 この歌の歌詞は短いので、行間を補って解釈しなければなりませんが、その意味は、若干の意訳を加えると、おおよそ次のようなものになっています。

 

籠(かご)の扉のことなんだけど

籠の中の鳥さんは、いつ籠から出るの

夜明け前で未だ暗いのに

つるっと籠の扉が滑って開いたよ

後ろの正面が誰だか当ててごらん

当てたら開いた扉の場所を教えてあげる

 

 この遊びは、子どもたちが手をつないで丸い輪をつくり、その輪の真ん中に「籠の中の鳥」となる一人の子どもが自分の両手で目隠しをしてしゃがんで座り込み、丸い輪をつくった子どもたちが、上記の歌を歌いながら籠の中の鳥の周囲をぐるぐると廻り続けます。この籠の中の鳥となる子どものことを、通常、遊びの中では「鬼」と呼びます。歌い終わった時に全員が静止し、鬼である子どもは輪になっている子どもたちの歌声を頼りに自分の真後ろにいる子どもの名前をいいます。もし、当たっていたら鬼から開放されて、当てられた子どもが次の鬼となり、同様のことを繰り返すという遊びになっています。

 なお、「かごめ」とは「かごむ」の命令形で、「かごむ」とは「かがむ」と全く同じ意味の言葉であり、漢字では共に「屈む」と書き、「しゃがむ」の意味です。したがって、「かごめ」は「籠門」と「屈(かご)め」の掛詞ともなっているのです。「かごめ」を「屈(かご)め」のこととしたときは、この歌の最初にでてくる「かごめかごめ」は「屈め屈め」であり、鬼さんに「屈んで下さいね」と軽く命令する言葉になります。