日本語の語源を知る 〜目からうろこの語源書〜

プロフィール: 江 副 水 城(えぞえ みずき)、 出身地:熊本県 、学歴: 東京大学 法学部卒 、 趣味:麻雀、言語研究 、著書:『魚名源』 『鳥名源』 『獣名源』 『蟲名源』 『草木名の語源』

博多【どんたく】の語源

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 博多どんたくは、江戸時代の学者である貝原益軒著の筑前国風土記によれば、平家の全盛時代であった1179年(治承3年)に挙行された松囃子(まつばやし)が、引き継がれて発展変化したものとされています。

 松囃子とは、正月に、芸人や村衆・町衆・侍衆などが集団で着飾って権門勢家に参上して、太鼓、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛、鉦(かね)などの楽器に合わせて歌や踊りを披露した祝賀芸能で、鎌倉・室町時代頃から都を中心に各地で盛んに行われたようです。

 博多で行われる松囃子は、博多松囃子といいます。江戸時代にも行われたようですが、維新政府から任命された県令(現在でいう県知事)によって1872年(明治5年)に禁止されると、名称を変えて「これは、どんたくばい(『ばい』は『である』の九州方言)」といって1879年(明治12年)に再開し、このときから「どんたく」といい、博多を語頭に付けて「博多どんたく」と呼ぶようになったとされています。

太平洋戦争中に中断されましたが、終戦翌年の1946年(昭和21年)には早くも博多松囃子の行事が挙行されました。翌年に博多どんたくの名称が復活され、その後、港まつりと統合されて現在にいたっており、5月の3~5日の三日間挙行されます。

 以上のような事情から、現行の博多どんたくでは、博多松囃子が行列の先陣を務め、要所要所で、博多松囃子の太鼓、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)その他楽器の音色に合わせて伝統衣装で着飾った少女の踊り子たちが優雅に舞いを披露します。

 さて、大辞典によれば、「どんたく」の語源は、オランダ語のZondag(ゾンターク)であるとされています。しかしながら、この説には大いに疑問があります。

  第一に、オランダ語で、Zondag(ゾンターク)は日曜日のことですが、祝日はFeestdag(フェスターク)、休日はRustdag(ルスターク)といいます。祝日や休日は、日曜日に重なることはありますが、日曜日ではありません。上述のように、日曜日、祝日、休日の意味は、それぞれ違うのです。博多どんたくは、その起源からして歴史的にも日曜日に行われる行事ではないのに、その名称が、なぜ、ゾンターク(日曜日)になるのか、まったく理解できません。また、ゾンとドンでは、音が違い過ぎます。ゾンは「さ行」、ドンは「た行」ですから、訛ると言っても、ゾンがドンには訛りにくいのです。つまり、「ゾンターク」は「どんたく」になりにくいのです。

 第二に、「半ドン」という言葉があり、ドンはゾンターク(日曜日)のことで、半日が日曜日の意味で「半日休み」の意味だとされていますが、これも怪しいのです。仮に、ゾンの訛り読みがドンになるとしても、ゾンタークは日曜日のことであって休日のことではなく、日曜日は一日の24時間であって、その半分が日曜日などということはあり得ないのです。このようなことから「半ドン」というのは本来は、半日が日曜日の意味での「半日休み」ではないことは明確です。

 第三に、これが最も大きな理由ですが、日本古来の伝統行事の名称に、祭礼についての文化的なつながりも薄いヨーロッパ語の外来語を使うなどということが、果たしてあり得るのかどうか。そのような例は、他の日本の伝統的な祝賀行事の名称にはないのです。いくら舶来好みの時代背景があるとはいえ、賢い博多衆が、そんな思慮のないことはしないのではないかと思われます。 

 したがって、どの大辞典にも書かれている「どんたく」の「ゾンターク」説は、大辞典編集学者による、いんちき、ごまかし、でたらめ説である疑いが強いのです。

 

 さて、それでは、「どんたく」とは、いったいどういう意味なのでしょうか。

日本の童謡「村祭り」のなつかしい歌詞をご存知のことと思います。第一節だけここに書きますと、次のようになっています。

村の鎮守の神様の

今日はめでたいお祭り日

どんどんひゃらら どんひゃらら

どんどんひゃらら どんひゃらら

朝から聞こえる笛太鼓

ここで、「どんどん」や「どん」は太鼓の音であり、「ひゃらら」は笛の音を指しています。このことからお分かりのように、「どんたく」とは、「どんどんと太鼓をたたくこと」なのです。一音節読みで、鼕はドンと読み太鼓の音を表す擬音語です。打はタ、鼓はクと読むので、打鼓はタクと読み、太鼓をたたくこと、つまり、太鼓を打ち鳴らすことをいいます。

したがって、「どんたく」を漢字だけで書くと「鼕打鼓」であり、直訳すると「どんどんと太鼓をたたく」の意味になり、これがこの言葉の語源です。このことは、博多松囃子の主楽器が「鼓(つづみ)」であることからも充分に察することができます。

県令による禁止令のもとで、博多衆が「これはどんたくばい」と称して復活したときに、松囃子という行事ではなく「どんどんと太鼓をたたく」に過ぎない行事であるという理屈で、禁止の網をのがれての復活を図ったのです。

 ところで、上述した半ドンの意味について説明すると、半ドンにおけるドンはゾンターク(日曜日)のことでなく、一音節読みでドンと読む「働」のことです。つまり、半ドンとは、「半働」の多少の訛り読みのことであり「半日働く」という意味なのです。

 日本では、最近では、土曜日は休日ですが、長い間、半ドンとされてきた経緯があります。この頃でも、半ドンは日曜日ではなく土曜日だったのです。繰返していいますと、ドンはゾンターク(日曜日)のことではなく働のことであり、半ドンとは「半日休み」のことではなく「半日労働」のことです。しかしながら、半日しか働かないのですから、結果的には「半日休み」と同じことになるので、誤った説明がまかり通ることになるのです。

【よさこい】の語源

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 よさこい節の原歌は、土佐地方で古くから親しまれていた歌のようで、それを、土佐在住の作詞作曲家であった武政英策氏が「南国土佐を後にして」という曲名で再編作詞し、ベギー葉山という美人女性歌手の歌唱で大ヒットして、日本全国に広く知られるようになった歌です。

 その歌詞は、たくさんあり、歌集によって若干の違いがありますが、どの歌集にも共通する歌詞の一部を披露しますと、次のようなものがあります。

 

一、土佐の高知の 播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい

二、みま瀬 見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい

三、言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる よさこい よさこい

四、土佐の名物 珊瑚に鯨 紙に生糸に かつお節 よさこい よさこい

 

 しかしながら、曲名とも囃子詞ともなっている「よさこい」とはどういう意味なのか現在でも分かっていないようなのです。有名な流行歌なので、当然に、作詞家にも質問がでたと思いますが、この歌は古歌を再編したもので、「よさこい」という囃子詞は、すでに古くからあったものであり、この作詞作曲家自身が作ったものではないので、何の意味だかはっきりとは分からなかったのかも知れません。したがって、いまなお、分からないままとされています。

 有力説とされるものの一つに大辞典に書いてあるものがあります。例えば、広辞苑には「夜さり来いの意」と書いてあります。古語に「夜さり」という言葉があり、「夜に、夜分に」という副詞として使われていた言葉です。この説は、古語である「夜さり」と現代語である「来い」を合わせた「夜さり来い」から「り」を省略した「夜さ来い」であり、「夜にいらっしゃい」という意味だとするものです。しかしながら、古語と現代語をくっ付けるのは可笑しい上に、「り」を省略するのもまた可笑しいのです。

 更に、古語には「夕さり来る」という表現はあっても「夜さり来る」という表現はありません。したがって、広辞苑に書いてあるような、「よさこい」が「夜さり来い」からきたものとは到底思われません。

 それよりも、人形浄瑠璃などの言葉に「夜さ来い」とあり、「夜さ」とは「夜に、夜分に」という意味で、「夜さ来い」とは「夜に来い」の意味とされているようで、もし仮に、「よさこい」が「夜にいらっしゃい」とする意味ならば、こちらの方が、はるかに無理のない適切な説明のできる言葉といえます。

 ところが、地元の土佐人の話では、土佐ではこのようないい方はしないというのです。地元では、夜のことは晩(ばん)といい、「夜にいらっしゃい」というのは、「晩に来や」というのだそうです。大体、四国、九州地区の日常語では夜という言葉自体がさほど使われていなかったのです。

 また、有力説の一つに、江戸時代の初期に山内一豊高知城を築いたときの、「よいしょこい」や「よっしゃこい」という掛け声の訛ったものとする説があります。この説の最大の欠点は、あまり聞いたことのない掛け声であることに加えて、ほんとうに使われたという痕跡がどこにもないらしいということです。

 一般的なことをいいますと、囃子詞や掛け声にも意味はあるのです。したがって、「よさこい」の意味は、歌詞は何節何行もあるのですから、この歌の全節全行に通用するものでなければならないのであり、「夜にいらっしゃい」では、その役目を果たしていないのです。

 また、「夜にいらっしゃい」説で、納得のいかない最大の理由は、そのような意味では、いかにも矮小過ぎて、南国土佐らしい大らかさや雄大さに欠け、この歌全体に流れる雰囲気や各節の歌詞と殆んど調和しないことです。

 

 そこで、次のような、著者の新説であり、真説であると思われるものを、ここで、ご紹介します。

 一音節読みで、はヨウと読み、優秀の熟語で使われるように「優れている」という意味であり、その多少の訛り読みが「よさこい」の「よ」です。はツァンと読み、賞賛という熟語で使われているように「ほめたたえる」の意味ですが、その多少の訛り読みが「よさこい」の「さ」です。この二語を合わせた「優賛(ヨサ)」は、「人柄のよさ」、「家柄のよさ」、「彼女のよさ」などと使われています。

はコと読み「よい、素敵である」の意味、英語でいうところのgood、fine、splendidなどの意味です。はイと読み、「よい、宜い」という意味です。

 以上のことから、「よさこい」とは、優賛哿宜の多少の訛り読みであり、これらの字における同じような意味をまとめて簡潔にいうと「素晴しい、素敵である」の意味になり、これがこの言葉の語源です。

 現在では、この歌にはいろいろな歌詞が付け加えられていますが、土佐出身の兵隊さんたちに愛唱されていたといわれる元歌(もとうた)の根底に流れているのは、土佐人の郷土に対する愛情、誇り、自慢、懐かしさなどではないでしょうか。 

 したがって、「よさこい」の意味も、それらを表現しているものでなければならないのです。つまり、「よさこいよさこい」とは、「素晴しいなあ、素敵だなあ」という意味の、自画自賛ともいえる囃子詞なのです。

【あんぽんたん】の語源

アホ、バカ、マヌケなどと同じような意味の言葉に、アンポンタンやアホンダラという言葉があります。

 

 漢語には、これらと同じような意味の言葉があり、それは、一音節読みしたときの渾蛋(ホンタン )や笨蛋(ペンタン)です。渾蛋は、読みが同じ読みの混蛋(ホンタン )とも書かれます。

 渾は「ぼんやりの」、笨は「のろまな、愚かな」という意味です。蛋は、蛋白質の蛋で、人間を含めて動物の身体の一部または全部をいうときに使います。人間について使うときは、通常は、誹謗、中傷語とし使用されます。

 

 アンポンタンのアンは、意味のない接頭語ではありません。一音節読みで、暗はアンと読み「物事に暗い、愚鈍である」の意味があるので、格好の組合せ字として使われているのです。

 

 つまり、アンポンタンは、日本語では、先頭に暗を合わせた暗渾蛋(アンホンタン)または暗笨蛋(アンペンタン)を、多少訛り読みして、アンポンタンという言葉にしたものであり、いわゆる「アホ、バカ、マヌケ」の意味であり、これがこの言葉の語源です。

 

 一音節読みでレンと読む「人」を追加した暗混蛋人は、アンポンタンレンの読みになるのですが、多少の訛り読みしたのがアンポンタレであり、アンポンタンと同じ意味になります。

 

 更に、一音節読みでラと読む語気助詞の「了」を追加した暗渾蛋了または暗笨蛋了を多少の濁音訛り読みしたものがアホンダラでありアンポンタンと同じ意味になっています。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。